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*******千と千尋の神隠しによせて*****はじめに 物語と世界観 *物語としての価値 例えば、エンタテイメントとして何を思うか。 この作品を考える上で、エンタテイメント性というものは非常に大切な要素かと思う。それは、エンタテイメントを純粋に「笑い」として捉えた場合と、「考察の為の要素」と捉えた場合ではこの作品の評価が全く変わってしまうと考えられるからだ。 無論、どのような定義でエンタテイメントとするかは各人の自由であるが、私はここでは「その作品をしてより深く己の考え方を追求できる」作品としたいと考える。 *モチーフとしての神話 さて神話。 日本の風習や神話において造詣の深さはさして重要ではない。なぜなら、私たちはその身をもってしてそれらのことを知っているからだ。 この作品を見て、どこか郷愁的なものを感じるとすれば、それは一片に神話的、民族的なエピソードを盛り込んであるから、とも取れるのではないだろうか。 作品として、宮崎監督が何をいわんとするか、それは実はさほど重要ではない。この表現は少々乱暴でもあるが、実際著者の思惑を遙かにかけ離れたところで作品の意図について語られることは多いのではなかろうか。だが、それこそがその作品の真価にもなろう。つまり、作者の手を放れたところで作品や作者の意図を追求されてこそ、作品を作品たらしめるのではなかろうか。 実際、この作品を見て己の興味のある方向からのアプローチを行う人はいると思う。それが、またこの作品を存在させていることもある種の真実ではないか、と烏滸がましくも考えるのである。 *はじめのおわりに とは言うものの、途中私的に見た監督――つまり作者――のいわんとすることを勝手に想定し、言及するようなことも行うつもりではあるが。その当たり、できれば大目に見ていただきたいと思う。 |